これから留学:英語が喋れないという不安

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スイス到着!キャビンアテンダントさんに撮ってもらった写真

どうも現役留学生ライターのハルです。

僕は今年で留学9年目になる高校3年生です。今はアメリカのコネチカット州に留学していますが、僕は最初の4年間をスイスの学校で過ごしました。今回は英語を喋れなかった小4の僕がどうやってスイスのボーディングスクールで生き残ったのかを話せればなと思います。

まずタイトルにもある通り、僕は日本の小学校を4年生半ばで中退してスイスに一人で留学しました。実はスイスでは寮のある学校(ボーディングスクール)が多数あり優秀な学校が揃っています。僕が行ったのはLa Garenneという学校で山の上にポツリと位置している完全に都市からは隔離された学校でした。

陰キャラでシャイだった僕は朝も昼も夜も最初の2日間は泣き続けました。でも学校はそんな困った子の対応には慣れていて、泣いている間24時間ずっと僕のそばにいて応援の言葉をかけてくれていました。これは多分ほとんどの留学生が通る道なんじゃないでしょうか。

そんな時、こんな僕にある男の子がサッカーしようと誘ってくれました。彼はのちに僕の親友となるAhmedというナイジェリア人で、8年たった今でもたまにメッセージのやり取りをします。昔からサッカーは好きだったので半ベソながらも外に出向きました。いざ試合となると会話で必要なのはパス、シュート、ゴールのみということに気づきました。そして入学して3日で、僕にはサッカーを通して(サッカー場限定で)友達ができました。でも僕には「生きていけるかもしれないぞ」という感じがしてすごく嬉しい出来事でした。休憩時間になると外に飛び出しサッカーをする。僕にとってスーポーツは言葉が通じなくてもコミュニケーションが取れる「魔法のツール」でした。

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心配だった授業面についてはかなり楽でした。僕みたいに幼い頃から留学する子のほとんどは学校が要している英語が未熟な子のためのプログラムに入り、英語を基礎から習います。最初の方の授業は個別で受けることもでき、授業についていけなくなる心配もなかったです。そして、やはり子供の脳みそは柔らかく1ヶ月もすれば簡単なコミュニケーションは取れようになっていました。もちろん度々親が恋しくて泣きましたが、クラスメイトの輪に入りロシア人とナイジェリア人の親友さえできた時にはほとんど泣くことは無くなりました。その子達とはサッカー以外でもお菓子を買いに行ったりFifaをやっていました。数ヶ月前まで日本の友達とドッジボールしていたのに今では180度違う新鮮な生活を送っていました。

タイトルで置き去りにされたと書いてありますが、今では僕はスイス留学を決断してくれた親の

個人的にスイスは初めて留学するならすごくおすすめです。スイスには日本人も多いし、留学をサポートしてくれる留学エージェントもスイスにはたくさんあります。

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